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2004.10.10

台風の間隙を縫って釈迦堂口切通しを散策してみた

最強台風襲来。

9日(土)は予報どおり超強力台風22号が関東に上陸した。
鎌倉も前日から台風の前兆となる強風・大雨にみまわれたが、嵐の前の静けさ、朝雨があがる。
その間隙を縫って、自宅から30分で往復できる釈迦堂口切通しまで散策にでかけた。

切通しとは、山や丘を切り開いて通した道のことを言う。
鎌倉では、亀ケ谷坂、化粧坂、巨福呂坂、大仏坂、極楽寺坂、朝比奈、名越の7つの切通しが有名で、これらを「鎌倉七口」とよぶが、釈迦堂切通しは、これら鎌倉の中と外を結ぶ切通しではなく鎌倉の中にある切通しで、浄明寺と大町を結ぶ位置にある。

釈迦堂口切通しへは大町方面から向かったが、逆川を上流に辿る道に沿って歩いていけば現地までほぼ1本。といいながら、途中で道を間違えて引き返すことになったが、地図があれば迷うことはまず無い。

逆川沿いの道の、↓こんな看板や、
200410091.jpg

台風の影響である↓こんなものを眺めながら、ちょっと歩いて行くと現地到着。
200410092.jpg

200410093.jpg
↑は浄明寺方面から大町方面に向かって写したもの。つまり、進行方向とは逆。
↓は切通しから浄明寺方面への道を写したもの。未舗装。大町方面へは舗装路。
200411077.jpg

切通しは崩落の可能性があるため通行禁止。
入口には通行禁止と書かれた看板と簡単な鎖があるだけで、中に進入するのは容易。
通行は自己責任ということになるが、自己責任が「自己」で完結しないのはイラクの人質事件をみてわかるとおり。

この付近には、鎌倉幕府3代執権北条泰時が父義時(2代執権)を弔うために建立した釈迦堂があったとされるが、その場所も廃寺になった時期もわかってはいないとのことだ。
なにもわかってはいない、なにもかもわかっているよりも、はるかに興味をそそられる。
どなたか解明をよろしくお願いします。
(↓は浄明寺側にある説明書き)
200411076.jpg

切通しの手前には、今売り出し中の住居用建売物件がある。
買い手がなかなかつかないようで、物件のドアに張ってあるチラシには「値下げしました」の文字が。ちなみに値段は2600万円ほど。2階建てで、敷地は2~30坪ほどであろうか?
切通しなので、新田義貞の鎌倉攻めでの壮絶な攻防戦が思い浮かばれる。
ただ先に書いたように、鎌倉への進入口ではないので、ここで過去に戦いがあったかどうかは不明。この程度は調べればわかりそうだが、今のところ宿題。
でもここで戦があったとしたら、当然少なからず死者がでたはず。
そんないわくつきの場所のすぐ近くにある物件、不動産業者にはその事実につき重要事項としての説明義務があるのではなかろうか。

家に帰るとまもなく大雨。
夜、鎌倉でがけ崩れが起きたというニュースを聴く。
被害者を気の毒と思うと同時に、釈迦堂口切通しの無事を願う瞬間だった。

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